そのまんま

好奇心を大切にして

10年前か…

 私は向上心の強さと思い込みの強さゆえに、突っ走り出したら何かにぶつかるまで止まれないというところがあり、自分をコントロールできるようになるまで随分時間がかかった…40年近く。

 

 なぜか物心ついた時から他人と同じでは面白くないと常に思っていた。それを行動に表していたので「変な人」「ふしぎちゃん」「常識を超えている」などと友人たちに言われていた。しかしなぜか友人は多かった。

 よく相談を持ちかけられていた。「こんな話誰にもできない」とか「いろんな人に相談したけど君はどう思う?」とよく意見を求められた。そんなことが学生時代から長年続いてきていたので、私は相談される側で相談はしない人間だという意識が根付いてしまっていた。普通に考えれば友人なら持ちつ持たれつ、相談する事もされる事もあるじゃないかと言う話になるところだと思う。でもこの話をAさんにすれば○○と帰ってくるはず。Bくんにすれば□□という反応だろう、と先に思ってしまうのであえて口にして自分の繊細な悩み事などを他人に相談することはなかった。そして誰にも相談できなくなった。

 

 そうそう、10年前、私は夫の両親と同居していた。長男は4歳次男は2歳だった。案の定、私は姑とはうまくいかずノイローゼになり食事も喉を通らなくなり…家を出たのが9年前か。その頃すでに塾でアルバイトを始めていた。姑はそれも気に食わないと思っているのはわかっていた。しかし夫の給料は20万もなかったので働くしかなかった。姑の嫉妬による意地の悪い言動が私の自尊心を蝕んでいった。夫は無関心だった。

 私はすっかり心を傷めてしまった。つい最近まで夫の実家を思い出すと憎しみが込み上げてきて、それを抑えるのに一苦労していた。自尊心を完全に取り戻すのに10年近くかかったわけ。

 

 完全にPTSDを患っていたに違いないのだが情弱だった私には知る由もなかった。当時、私は友人にも両親にも傷ついていない振りをしていた。無駄な心配をさせてしまうし誰にもどうする事もできない事。私が家を出ると言ったら、知らんふりをしていた夫もついてきた。気持ちはわからんでもない。彼は幼少期に産みの母親からDVを受け、3歳から父子家庭を経験している。6歳で父親が再婚するも…相手はあの意地の悪い女だもの。私といる方が良いと判断したのだろう。

 

 あれからおよそ10年経った。この10年は本当にいろんなことがあった。次回はいろいろあっても変わらなかったこと変わったことを拾い出してみようと思う。